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モチベーションの分析
法則型
最近長いことモチベーションについて考えていたのだけど、ようやくしっくりと来る回答が見つかったので書いておく。
岡田斗司夫の性格分析みたいなものがあって、それでは人のモチベーションの源泉を4つのタイプに分けている。
その中で、自分は法則型というものに分類された。これは物事の法則や仕組みを知ることに最も高いモチベーションを得るグループだ。
例えば、金銭だったり勝ち負けだったりを気にするのは司令型に分類される。自分も金銭や勝ち負けが気にならない訳では無いが、そこまで重視することはできない。
他には注目型というものがあって、そこに分類される人々は人からの感謝だったり注目をモチベーションとするらしい。
これについても、自分もそれはそれで嬉しいが、そこまでではないなというのが正直な感想だ。
世の中には色々なモチベーションの源泉があるけれども、自分としてはどれもしっくりと来ないというのが今までだった。でも、法則型であると断言されてみると、確かにそうだなとかなり腑に落ちた。
動画作りのモチベーション
動画作りで説明してみる。
モチベーションには様々な種類がある
- 金が稼げる
- 動画登録者数や再生数という数字を伸ばす
- 人からコメント欄で感謝される
- 自分の知名度を上げることができる
- 満足行くまで動画を作り込む
- 自分の価値観に沿うような、作りたい動画を作成する
これらはどれも確かにモチベーションになりそうではある。とはいっても、これらのどれをとってもいまいちやる気にはならないのが法則型なんだろうなと感じた。
それなら法則型であったらどういう感覚で動画制作をモチベーションにすれば良いのか? これはもう「試行錯誤」だと思う。
つまり、色々な方法を試してみて、その結果としてどういうリアクションが来るのかを確認するというのが、モチベーションの源泉になり得る。
コメントも数値も、すべてをフィードバックと捉えて、ある形式の動画を出したらこういうフィードバックが来るのだろうか? と仮定を置きながらやっていくのが一番面白いと感じるらしい。
個人的にも、これであれば確かに継続するモチベーションになるかもしれないなと思えた。数字を伸ばしたり、自分の美意識に沿った動画を作ったりとか、そういうのはあまり考えないで良いのかもしれない。なぜなら法則型はハングリー精神が無いし、やりたいこともないらしいからだ。これは当たっている。
あくまでも「仮定→実行→フィードバック」であると捉えることが大事になりそうだ。なるほどねという気持ちである。
疲れてくるとどうなるか
この4タイプにはもう一つ法則があって、疲れてくると左回りで移行するらしい。
つまり、根が法則型の奴は疲れてくると司令型っぽいモチベーションに変わってくるというのだ。
これも身に覚えがある。動画再生が伸びるまでは適当に実験の場としてやれていたのに、伸びた途端にストレスからか、数字を気にしたり登録者数を伸ばそうとしたりしてしまった。これは疲れてしまい、司令型的思考になったからだろう。
あと、元気な時には右回りで移行するらしい。自分の場合は理想型だ。
これも身に覚えがある。元気で調子が良いと、自分の美意識に沿うようなものを作りたくなってくる。それはそれでいいんだけど、継続しようとしても続かない。
この辺まで踏まえると、やはり自分は法則型的なものを主軸に置いて、そこからズレないようにやっていくのが一番疲れないし、長続きさせることができそうだと思った。
日記はなぜ続くのか
この日記が長続きしているのは、この場でこういう分析ができるからだろう。分析ができると長続きする。あくまでも分析を目的として、分析のための手段として何かを実行する、というのが自分にはあっているのだろうなと思った。
- 分析したいテーマを設定する
- そのテーマを実証するためにはどういう動画が必要なのかを考える
- その通りに作ってみる
- 結果を見て分析する
これが一番自分は楽しめる流れなのかもしれない。絵を描いたり、バイクに乗ったりも、正直それがやりたいという強い気持ちがあってやったというよりは、そういうことするとどういう感じになるのかを分析したかったからかもしれないと今になって強く思う。
とにかく分析主体にしてみようと思う。理想型への憧れはあるが、憧れは憧れでしかないので、自分に合ったスタイルでないと長続きはしない。そういう感じでいこうと思う。