動画編集は脚本が大事

動画編集

雑感

久々に動画編集を終えることができた。時間を費やせば一応は完成まで漕ぎ着けられるらしい。色々と思うところがあるので書き残しておく。

脚本

今回は脚本を作ってから動画編集を始めてみた。これをすると当たり前のことのようだけども、脚本通りに動画が作られていく。動画編集中は脚本の内容にまで頭を回している余裕が無いからだ。

場面の設定やセリフまで脚本に書いてあるので、動画編集中はその通りに作っていける。何かしら思いつけばネタを入れたりするけれども、そんなに思いついたりはしないので、概ねは脚本通りになっていく。

基本、動画編集というのは単純作業の繰り返しなので怠いのだが、脚本通りに機械的に手を動かしていくだけだと考えれば、これはこれで気が楽だ。

余計なこと、たとえば場面はどこにしようだとか、セリフの順番はどうしようだとか、キャラの仕草はどうしようだとかをあまり考えずに済むので、スムーズに動画編集ができたような気がする。

今後も脚本を書いてから動画づくりを始めるという流れでやっていきたい。

逆に、脚本通りになっていくので、意外性があまり無いというような印象になる。これは脚本が悪い。

特に何も考えず、流れだけで脚本を書いてみたので、面白みという観点でみてみるとそれはほとんど無い。

あと、テンポも悪いような気がしている。脚本の時点でテンポが悪いのだが、動画にしてみると更にテンポが悪くなる。

そこも踏まえて、脚本段階から修正していくのが大事なのかもしれない。

動画編集は面白いか?

個人的に、集中している状態になれれば大体のことは面白くなってくる。いわゆるフロー状態というやつだ。

そのためには、動画編集の場合には綿密な脚本が必要になってくることが分かった。脚本が詳細であれば詳細であるほど良い。

どんな効果音を入れるかだとか、どんな素材を使うかだとか、どういうBGMが鳴っているかだとか、そこまで書けるようになれば、動画編集での単純作業の割合が増えてくる。

そうなればそうなるほど、次にやるべきことが明白になり、集中力を切らさずに済むので動画編集という行為(具体的にはDavinci Resolveを弄ること)が楽しくなるような気がしている。

事前に難しいことを考えておいて、後は手を動かすだけの状態にするのが何事においても肝みたいだ。

プログラミングにも同じことが言える。設計をきちんと文書の形で残しておいて、後はほとんど手を動かすだけ、の状態にすればするほど、作業の効率は上がっていく。

何をすれば良いのか分からない状態になると、色々と考えることが増えてしまい、やる気まで無くなっていく。

頭のメモリリソースを節約するような感覚で動画編集もできれば良いみたいだと感じた。

今回作った動画

こうしてみるとテンポが悪いというか、間延びしているし、ダラダラしているなと感じる。

もっとパッパッと情報を詰める形にすれば良かったなというのが反省点だけども、まあ、久々だしこれくらいで良いかとも思っている。

面白いか面白くないかで客観的に見ると、面白くはない。禁煙や喫煙に興味がある人であれば多少は共感できて面白いかもしれない。なかなか難しい。

次回は禁煙に失敗するずんだもんを作るつもりだけども、こちらはもう少しテンポを良くできれば良いなと思っている。ちょっとやりすぎなくらい情報を詰めても良いかもしれない。

その他

生活リズム

最近は生活リズムがガタガタでどうしようもない状態だ。休日は朝方まで起きていて昼ごろまで寝ている。平日に睡眠リズムが修正されないので致し方がない。

夜に作業をすると体力が持たないという問題はある。やはり日が明るい内に作業はできた方が何かと得だ。

とは言っても、どうにもならないので、まあこれはこれでという感じでなぁなぁでやっていっている。

オーバーウォッチ2

オーバーウォッチ2は異常に面白い。いくらやっても飽きないのが不思議で仕方がない。

1戦の短さと、その短さの中に濃密な戦闘が詰まっているのと、キャラごとに役割がハッキリとしているのが良いのかもしれない。高速でPDCAサイクルを回しているような感覚に陥る。

やりすぎたらまたアンインストールする羽目になるので、できるかぎりプレイ時間はセーブしていきたい。セーブしていくくらいの姿勢でいないとやりすぎてしまう。

たまにオーバーウォッチ動画をボイロ実況するのはどうかなと考えたりするけども、ゲーム実況というのはなんだかんだでかなり難しい。適当にやれば別にできるけども、何かしらの価値を付与しようと思うと途端に難しくなる。

世の動画投稿者というのはスゴイなと感心してしまう。動画編集も小説とかと同じで、誰でもできるけれども面白いものを作るには何らかのパワーが必要だ。面白い動画はかなりスゴイことをしている。

まとめ

色々とできている気はしている。日々を淡々と過ごしている。これくらい淡々とやっていくのが良いのかもしれない。

思い返してみると、淡々とやっていっている時の方が色々と生み出せている。問題は、淡々とやりすぎていると段々と飽きてくるということだ。

登校や出社をしていた頃は何もせずとも色々な刺激があったので、淡々とやろうと思ってもできないことが多かった。今は淡々とやろうと思えばできる環境に居るので、それには感謝した方が良いのかもしれない。

刺激があると疲れて作業ができず、刺激がないと飽きて作業ができなくなってくる。ずっと答えは出ないので、まあ生活や作業というのはそういうものなのかもしれない。