文化の日 動画編集したりアニメを見たり

今日はほぼ1日中動画編集をしていた。配信をしながら作業をしていると非常に落ち着く。これでダラダラと作業をしていくのが良いのかもしれない。

インターネット回線を無駄遣いするのは非常に心地が良い。これで何らかの作業ができるというのであれば、もうこれで良い気がする。あとはただやっていくだけという感じがする。

作業慣れみたいなものってある気がしている。何かしら抵抗感のある作業を淡々とできる日々もあれば、全くできずに鬱々と過ごす日々もある。この違いがどこから来ているのかあまり分からない。

身体の調子に依っている気もする。体調が悪いと何もうまくいかないし、体調が良ければだいたいのことはうまくいく。その点でもエアロバイクは欠かさずにやっていきたい気持ちがある。

動画編集

動画編集については脚本の存在が大事だと認識できてきた。脚本さえあればとりあえず手を動かしてさえいれば、なんだかんだで動画が出来上がっていく。脚本が無いと何をしたら良いのか分からないので、作業中に途方に暮れることがある。

ある意味ではソフトウェアでの設計に近いかもしれない。詳細なものは無くても構わないけれども、ある程度までは形ができあがっていないと作業を進めるのが困難になってくる。

そもそも作業中にいちいち考えないといけない時点でかなりしんどい。考える時間は別にとって、手を動かす時には何も考えずに手を動かすというのが一番効率が良い気がしている。

動画編集は楽しいのか

楽しい、楽しくない問題については、あまり信用していない。結局のところ、やっていると楽しい時もあれば楽しくない時もあるというだけに過ぎないからだ。

やっていて楽しい時はどういうときかというと、体力がある時に尽きる。体力があって気分が高揚していればただ楽しい行為になる。逆に体力が無い時に何かをやろうとしても、どんな行為も楽しくなくなる。

自分でやろうと思い立っている時点で、多少なりとも楽しいのではないかと考えている。そもそも、楽しいってどういう気分を指すのか未だに分かっていない。喜怒哀楽の喜と楽が抜け落ちている。

別に楽しくなくても良いんじゃないかという気はしている。この現実世界に楽しいことなんて残されているんだろうか? とずっと疑念には思っている。「楽しかった」と言い切れることが本当に無い。

酒を飲むと楽しい気分になるけれども、全てフィクションだと思っている節がある。これはもう治らないので、そうやって生きていくしかなさそうではある。

アニメについて

チェンソーマン

チェンソーマンが面白くない。1~3話を見ての感想になるんだけども、本当に面白くなくて困っている。

色々と物議を醸しているらしいけれども、自分の率直な感想を言うと面白くないになってしまって悲しい気持ちになっている。

喜怒哀楽でいうところの、哀の感情だ。手放しに最高と言いたかったのに、なんだかパッとしないなぁという印象だ。

どうしてそうなっているかというと、原作と空気感が違うからだ。ネットを検索するとどうやら監督の意向らしい。

アニメみたいなアニメを作りたくないという気持ちで邦画的な作りをしているらしい。それによって面白くなくなっている。

それを考えると、どうしてそういう事が起こってしまうのか、ということについて考えてしまう。

良い仕事と良くない仕事があるけれども、だいたいの良い仕事というのは無私によって行われているのではないかと思っている。

自我が含まれれば含まれるほど、その仕事は良いものにはなってこない。久石譲がやりたくない音楽を作ることで名曲を量産していたり、スパイファミリーの作者がやりたくないキャラクターでヒットを飛ばしているのは有名な話だ。

結局のところ、やりたくないことをやることでしか仕事というのは回らないのではないかと思っている。もちろんやりたいことを含めても良いのだけども、それを含めることでその仕事は良くなるのか?と疑問に思う。

自我なんてものはなくして、「良い仕事をする」ということに集中すれば、別に自分の色を作中に出す必要などなくなるはずだ。庵野秀明だって別に自分の色を出そうとして映画を作ってないんじゃないかと思っている。ただ出てしまうだけだ。

そういうことを考えて、どうしても批判的になってしまう。4話目以降は精神衛生の為に見ないでおく。

DIY

一方で、アニメのDIYは本当に素晴らしい。傑作。手放しで褒めることができる。

見てないのであればとにかく見たほうが良い。作画が素晴らしいし、キャラクターが素晴らしいし、小ネタも素晴らしいし、世界観も素晴らしいし、テーマも素晴らしい。文句が一つも無い。最高。

このように最高とだけ言いながら過ごしていきたい。手放しで褒められる作品に出会うとアニメを見ていて良かったなと思える。なぜアニメを未だに見ているかといえば、こういう出会いがあるからだと言える。

良い点を一つ一つ挙げるとキリが無いが、個人的にはテーマ設定がスゴイなと今のところは感じている。

舞台が近未来なので、今よりも少しだけ技術的に進んでいる。世界では自動化の波が押し寄せているし、最先端技術を学んでAIを駆使するのが良しとされている。

そんな世界において手作業でDIYをする意義とは?というのがメインテーマになっている。人はなぜやらなくても良いDIYなんてことをするのか。作品の主題がそこにある。

最近はAI絵が流行したりして、そんな中で例えばなぜ手作業で絵を描く必要があるのか?みたいのは非常にタイムリーな話題だ。そこに通じる部分がある。

自分も特に意味の無い動画編集を趣味でやったりしているけれども、別に意味なんてものは無くたっても構わないんじゃないかと思っている。DIYに意味なんてものはない。

資本主義的なものに真っ向から立ち向かう気概を感じる。伝えたいテーマが明確で、かつ空気感が資本主義に真っ向から対立するようなふんわりとしたものになっている。とにかく良い。

文句なしに傑作の予感がする。毎週新しい話が来るたびに楽しみにしている。こういうのがあるからアニメ視聴が止められない。

その他

他には水星の魔女、恋愛Flops、アキバ冥土戦争、モブサイコ100あたりを楽しみにしている。これらも非常に良い。一つ一つ良さを語ると今日は疲れるので、機会があれば書くことにする。

新しい話が来た時にワクワクして視聴を開始できる作品は、間違いなく面白い作品だ。ワクワクできないのであればそれは面白くない。そうした小さな喜びと共に今を生きている。

エアロバイク

エアロバイクはほぼ毎日漕いでいる。なんとか習慣の一部になってきた感じがする。

効果を実感しているかというと、背中が痛い。これはエアロバイクを漕いだせいというよりは、エアロバイクを漕ぐことで血流が良くなり、身体の悪い部分に血液が流れ出したから悪い部分が目立っている、という感じがする。本当のところは分からない。

背中の悪い部分が痛みを発している。1年以上もろくに運動もせずにリモートワーク生活をしていたから仕方がない気はしている。なんとなく姿勢が良くなっている気もするので、エアロバイクについては淡々と続けていきたい。

だいたいはアニメを流しているか、もしくはインパルス板倉のyoutubeを眺めながら漕いでいる。板倉が趣味のキャンプ動画を上げているんだけども、これがすこぶる良い。

変に凝ってないし、力も入っていない。自然体の板倉のキャンプを見ることができる。あんなに自然体で動画を作れるってスゴイことだなと思える。変な効果音が入ってたりもしない。引き算の美学を感じる。

ああいう動画を作りたいなと思うのだけども、かなりセンスが良くないとあの面白さは作り出せない気がする。編集技術が高いというよりも、センスが良い。動画の切り貼りのセンスが良いのだと思う。

キャンプ中に起こる出来事に対するリアクションも良い。とにかく良いので淡々と消化している。ある程度見終わったらまた何か感想を書こうと思う。

スヌース

部屋にスヌースを置いておくと無限に消費してしまうので、玄関に置くことにした。前みたいに煙草が吸いたくなったタイミングで玄関まで行って、外の空気を吸っている。

自分に必要なのは数時間ごとにパソコンの前から立ち、外の空気を吸うことなんじゃないかと思った。ずっと部屋の空気を吸っていると鬱々としてくる。社会性も失われる。

外の空気を吸うだけで頭が活性化するのが分かる。もしくはパソコンの前から立ち上がって数分間過ごすだけでも良い。とにかくその習慣が大事な気がしている。

喫煙をしていた頃は強制的に10分間程度はパソコンから離脱できていた。ずっとディスプレイを眺めていると頭がボケッ としてくる。遠くの景色を眺める時間が必要だ。

今後は2時間に1回くらいのペースでスヌースを口に放り込みながら、適度に外の空気を吸うようにしたい。やってみて分かるけども、ずっと部屋に居るのは本当に健康に良くない。肉体的にも精神的にも。

総評

90点。

動画編集もできたし、エアロバイクも漕いでるし、まあ悪くない気はする。こんな感じで生活を続けていきたい。