禁煙19日目 3週間目のつらさ

禁煙を始めてからほぼ3週間が経過した。これくらい経つと煙草を我慢するのがしんどいというよりも、煙草によって得られていたメリットが享受できないのがしんどい、という状態になってくる。

ニコチンの薬理作用には覚醒や満足感がある。事実として、ニコチンを摂取すると一時的には満足感が得られる。

それを断つというのはどういうことかというと、禁煙をしたことの無い人へ向けて例えると、カフェインを断つようなものだ。

コーヒーやエナドリを飲んだ時に得られる覚醒感に身に覚えがある人間が多いだろう。別にああいった覚醒感が無かったとしても生活を続けることはできるが、完全に断つとなるとかなり厳しい気持ちになってくる。

アルコールも同じかもしれない。アルコールを摂取したときのあの気分を好意的に見ている人は多い。薬物というのは得てしてそういうものだ。

カフェイン、アルコール、ニコチン。薬物は薬物なので、どれにも薬理作用がある。その薬理作用を忘れられないと、なにかのはずみで元の依存症に戻ってしまう。

前に禁煙に失敗したときは、ニコチンの薬理作用だけを得ようとして、つまりニコチンだけを摂取しようとして水タバコを吸ってしまった。紙巻きに手を出さずに、ニコチンだけを摂取できれば問題ないと考えてしまったのだ。

最初はまぁ良かったけれども、段々と水タバコから得られる快楽は少なくなっていった。その上、水タバコを用意するのが面倒で、しまいには紙巻きタバコに依存が戻ってしまった。

この経験を踏まえるに、ニコチンはもう摂取しない方が良いのだろう。

ニコチンの薬理作用としては、個人的な体感としては覚醒と満足感と時間間隔の歪曲があると思っている。

まず覚醒。これはドーパミンが出ることによる覚醒だ。

次に満足感。これはドーパミンが出た後のセロトニンによるものだ。

そして時間感覚の歪曲。これは脳内のドーパミンの量がニコチンに左右されることによって間接的に引き起こされる。

これらが一緒くたに起こるので、喫煙というものは良い体験になってしまっている。

そしてこの体験を手に入れたい欲求が一線を超えると、禁煙を止めてしまうことになるのだ。

それぞれの作用に対しての代替はあまりない

覚醒にしろ、満足感にしろ、時間感覚にしろ、それぞれには代替手段があるはずだ。脳の可塑性に頼るしかない。

覚醒についてはカフェインでどうにかなると感じている。これはこれでカフェイン依存症になりそうだが、喫煙依存に比べたらカフェイン依存なんて大したことがないので、ここはひとまず許容していく方針でいく。

満足感については、あまり思いついていない。何らかの作業をして、その結果に満足するようにして生きていくしかないのかもしれない。

時間感覚の歪曲は何かに集中して引き起こすしかない。自己をフロー状態にもっていく力を養うことでしか得られない気はしている。

煙草を吸うと作業ができていたのは、覚醒・満足感・時間感覚の歪曲がセットで引き起こされていたからだ。

つまり、覚醒して気分が良くなり、満足して目の前のつまらない作業へも取り組めて、時間感覚が歪曲するので長時間に耐えられた。

禁煙によってこれらの流れは存在しなくなったので、他の方法論を編み出すしかない。

基本的に覚醒はできるが楽しくはない

喫煙する前の作業について思い返してみると、基本的には楽しくなかった。たとえば大学のレポート作ったり、他にも何らかの作業をおこなっているときというのは、満足感も無かったし、そこに楽しさというのもほとんど無かった。

楽しさは無かったが、作業興奮はあったように思える。それを楽しいと言うのであれば楽しいになるんだろう。

掃除をしていたらノッてくる時のアレだ。100マス計算をしていて、途中から止められなくなるのに近い。

喫煙がある場合はどうかというと、まずニコチンで脳が満足する。そのうえで、満足した状態で何をするかという俯瞰的な視点になっている気はする。

喫煙が無いととにかく渇望をしていく。この日記にしても、とにかく目の前の文章を打ち込むことが楽しいからやっていくしかない、という状況になってくる。どこまでいっても満足感はない。

ニコチンを摂取してないと、どこまでいっても満足も無いし、楽しいという感覚も無いが、休憩時間が減るので作業効率は高まるという状態になる気がしている。

この現実に対処しないと、また禁煙を止めてしまうことになりかねない。

集中が切れた時がキツい

現状で一番つらい瞬間は、何らかの作業をしていて集中が切れたときだ。例えば、日記を書いていても次に書くべきことが頭から失われて、ぼんやりとしてしまったときに、とてつもなく煙草を吸いたくなる。

この時にやらないといけないのは、再び作業へ意識を向けて集中力を取り戻すことだ。これがかなり辛い。前は喫煙による満足感や時間感覚の歪曲で誤魔化していた部分だ。

今は素直にまた集中を作業へ戻さないといけない。この時に本当にベッドで横になりたくなる。もしくはyoutubeを開いて別の動画を見たくなったり、Twitterを開きたくなる。

とにかく作業の始まりの段階が一番つらい。どうしてなのかは分からない。つらいものはつらい。

このつらさから逃れようと思って煙草を吸っていた節はあるが、それができないので、ただこのつらさに慣れるしかない。多分ずっとつらいのは変わらない。

作業中のつらさ

集中がキレた時はもちろんだけども、次に何をやるのかが不明瞭になって手が止まったときもつらい。

前は「次に何をしようかな~」と考えながら煙草を吸って、その時にまとまった考えを元に次の作業を決めていた。

これができなくなったので、例えば次に何をすれば良いのか分からなくなったときに、本当に何をすれば良いのか分からなくなってしまった。

たとえばyoutubeやtwitterに手を出すと、そこから今の作業を忘れてしまうことになりかねない。ちょうどよく、次の展望について考える手段が無い。

何も無いディスプレイをジッと眺めていたからといって、何かしら名案が浮かぶものでもない。こういう時にどうしたら良いのかは本当に今を持って分からない。

「次にやることをTODOリストの形で整える」とかが適しているのかもしれない。

とにかく別のやり方を色々に試してみて、新しい作業の枠組みを組み立てていくしかない。全てリセットされたのだ。

新しい生活習慣を組み立てる難しさ

禁煙とは、今までの生活の枠組みを全てブチ壊すということだ。

喫煙者であるということと、非喫煙者であるということは、生活の在り方が全く異なる。

作業から趣味から消費から、全てにおいて人生の在り方が異なってくる。

どうしてもニコチンの作用が懐かしくなったりしてしまうが、考えれば何らかの代替手段はあるはずだ。

もしすぐに無かったとしても、脳には可塑性があるので、時間をかければ代替行動を身につけることができるはずだ。

そういうことをイチイチやっていかないといけないし、そうした行動が果てしなく感じるので、人は禁煙に挫折してしまうのだと思う。

禁煙というよりは「全く新しい生活様式を身につける」と意識を切り替えて、新しい生活に身体を適合させていくという方向で考えるのが良さそうだ。

例えば、外国に住むことになったら日本のコンビニで手に入るようなものはすぐには手に入らなくなる。たまに日本の生活が懐かしくなるかもしれないが、それでも外国にあるもので、なんとかうまいことやっていくはずだ。

それと同じことをやっていくしかない。どんなことであれ「他に代替物があるはずだ」と模索していく姿勢を忘れないようにしたい。

そうしないと、ただ我慢するだけに陥り、我慢は抑鬱の元だからだ。

ひとまずの結論

禁煙3週間目の現状としては、ひとまず以下の方針でやっていこうと思う。

禁煙は決して余裕ではないし、楽ではない。基本的にはとてもつらい。

とにかく足掻いていく姿勢でいかないと、すぐに抑鬱に繋がってしまう。

今までの延長というのではなく、同じ環境でありながら、全く新しい生活をしていこうという気概で生きようと思う。