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禁煙12日目 急な変化を求めない
鬱の正体
どうにも禁煙鬱みたいになっていたんだけども、その正体が分かったのでメモとして残しておく。
ここで言われているのは、「鬱病というのは理想の自分と現在の自分との乖離からくる」という論理だ。
確かに一理があって、鬱の要因ってのは様々にあれど、これが本質の一つという感覚はしている。
この論理を禁煙鬱に当てはめると、
「煙草を吸っていた頃の自分」と「煙草を吸っていない自分」を比べて、どうにも後者の方が見劣りをして、前者のような動き方をしたいとあがいて抑鬱を誘発している気がしている。
以前に3ヶ月くらい禁煙したときも、最終的にはこれが原因となって禁煙に失敗したところがある。何をするにしても、煙草を吸っていた頃の方が良かったように思えてくるのだ。
これは論理というよりは感情的なものなので、うまいこと乗り越える方法というのは存在しない。
おそらく「あの頃は良かったなぁ」と思いながらも、すぐ目の前にある煙草には手を出さないという選択を取り続けるしかないだろう。
現状を肯定する
「煙草を吸ったらもっと動けるんじゃないか」とか「煙草を吸ったらもっと気分が良くなるんじゃないか」みたいな発想は次々と浮かんでくる。
それに、こうして文章を書いていてもいまいち気分が盛り上がらない感覚がある。煙草を吸っていた頃の方が楽しかったように思えてしまう。
しかしながら、この点については諦めるしかない。どう考えるかというと、
「煙草を吸ったらもっと動けるんじゃないか」→「もっと動かなくて良い」
「煙草を吸ったらもっと気分が良くなるんじゃないか」→「気分が良くならなくても良い」
「なんか何をしても楽しくない」→「別に楽しくなくて良い」
という風に考えていけば、現状を肯定することができる。
精神や身体を、もっと別の形に変えようとすると何らかの道具に頼らなくてはならなくなってくる。
それはアルコールだったりニコチンだったり、何らかのサプリだったりする。
実際、たとえばアルコールを摂取したらテンションが上がるとか、ニコチンを摂取したら一時的に気分が良くなるというのは正しい情報だ。それを否定することはできない。なぜかというと実際にそうなるから。
だとしたら、その上でその選択を取らないようにするためには、「別に気分なんて良くならなくていい」という考え方をする必要がある。
仕事ができないというのであれば仕事なんてできなくて良いし、何かをやる気にならないなら何もしなくて良い。
よりいっそう自分の気分に素直に生きていくことが要求されているのかもしれない。
煙草とは
煙草というのは緊急現実脱出装置みたいなものだと思っている。現実が嫌になったときに、煙草を吸えばそこから逃れることができる。つまりは逃避だ。
時間感覚が歪む感じもしている。これが逃避に最適になっている。
昔は現実から逃避する必要があったし、なんならそれを肯定していた。現実なんてクソ喰らえという論法である。
最近は「現実から逃避していても良いことないな」と冷静になってしまった部分がある。
なんらかの薬物を使ってハイになったとして、それで何かが得られるかというと、別に得られるものはない。
薬物の効果が切れると現実というものが目の前に存在している。
煙草は軽い方ではあるけども、構造は一緒だ。煙草を吸っている間は現実から逃避できるが、煙草を吸い終わると再び現実が目の前にそびえ立っている。
依存というのはほぼ全て似たような構造になっている気がする。
逃げ場を一つ一つ塞いでいくと、最後に立ち向かわないといけない何かが目の前に現れる。
逃げ場を塞ぐ
“緊急現実脱出装置"として機能するものってたくさんあって、たとえばyoutubeとかゲームなんかは使いやすい装置だ。
youtubeを漁っていれば一日が潰れるし、ゲームをしていれば数十時間くらいは時間をつぶすことができる。
もちろんyoutubeの中にもとても為になる動画だったり、見識や世界を広めてくれる動画も存在している。
ゲームだって同じで、disco elysiumみたいにとんでもない体験をさせてくれるゲームが発売されたりする。
だからひとえに全てが悪いというわけではない。
とはいえ、それが逃げ場として機能するようになると、途端に話が怪しくなる。
禁煙による鬱が激しい時などはゲームをひたすらして時間がすぎるのを待つ、というのは有用だけども、別に元気な時にやりたくもないゲームをしてもあまり意味はない。
そんな訳で、徐々に逃げ場を塞ぐ方向に動いている感覚はある。
変化が大事
これを心の底から受け入れることが必要なことかもなぁとは思っている。別に禁煙しようと、逃げ場を塞ごうと、それによって生活が改善したり、何か楽しいことが起こったりするわけでは無い。
起こるのは何らかの変化だ。その変化は悪い方向にも良い方向にも行き得る。賭けみたいなものである。
とにかく変化を起こしてみる、というのが生活や人生において必要なことなんじゃないかと考えている。
大きく変化させようと思うと大変だが、小さな変化はいくらでも可能だ。
そういった変化を定期的に導入して、何がどう変わるのかを観察するというのを方針として生活をしていこうと思う。
前に禁煙に失敗したのは、禁煙開始と同時に色々な環境変数を変えすぎたからな気がしてきた。
禁煙、都内から郊外への引っ越し、コロナ、リモートワーク、あの時期はこれらが同時に重なっていた。
これらの影響が全て混じり合っていたので、どれが禁煙による影響なのかが分かりづらくなっていたのだ。
だから今回は少なくとも禁煙100日程度までは、引っ越しに匹敵するような大きな変化は起こさないようにしようと思う。
運動とか食生活を変えるとか、そういう小さな部分だけは変化させていくつもりではいる。