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禁煙5日目 代替行動とシラフでいること
壊れたドーパミン排出装置
なんとか地獄の3日間を耐え抜いたので多少は気持ちが楽になっている。
とはいえ、頭の中が強制的に空っぽにされているような感覚は拭えない。
基本的には脳内のスポンジがカラッカラに乾いている感覚がある。何かに集中できると、そのカラッカラになったスポンジにジュースが染みてくる。
何かというのは本当に何でも良い。部屋の掃除でも良いし、PCのデスクトップの整理でも良い。とにかく、ちょっとダルいこと、集中力を要することであれば何でも良い。
カラッカラの状態だとどんなに些細なことであれ、それを実行することが絶望的に感じるが、少しでもジュースが染みていれば楽しく作業ができてしまう。
このジュースを染みさせる機構がブッ壊れている感覚がある。この機能を修復するのにかかるのが3週間という時間なのだろう。なかなか先は長い。
喫煙の役割、代替
禁断症状がそこそこ抜けて、考える頭も戻ってきたので、禁煙を継続するために必要なことについて書き出してみる。
要となるのは、これまで喫煙が担ってきた有益な習慣を何で代替するかという部分にある。
どんなタイミングで喫煙をしていたかというと、以下の通りだ。
- 作業に着手する前の景気づけ
- 長時間の作業中の休憩
- 何も思いつかなくなったときに着想の手助け
- 緊張を要する行為の前の儀式
- 飯を食った後の休憩
- 朝起きたとき
- 夜寝る前
数え上げてみるとこれくらいしかない。これらに対して一つ一つ代替案を提示しないといけない。そうしないと、「このメリットを得るために煙草を吸うしかないな」という論理に負けてしまうからだ。
上記のうち、そこまえ重視しなくて良いのは以下だ。
- 飯を食った後の休憩
- 朝起きたとき
- 夜寝る前
- 長時間の作業中の休憩
これらは別に煙草が無くても特に問題は無い。休憩したくなったら休憩すれば良いし、朝目を覚ましたいならコーヒーでも飲めば良い。目を休めたいならジュース片手に外に出て遠くでも眺めれば良い。飯後には休息を取れば良い。ただそれだけだ。
これらに対して、代替が難しいのが以下だ。
- 作業に着手する前の景気づけ
- 何も思いつかなくなったときに着想の手助け
- 緊張を要する行為の前の儀式
一つ一つ考えていきたい
作業に着手する前の景気づけ
わりとこれが難問ではある。俺は基本的に何らかの作業に対して着手をしたくない。例えば仕事は始めたくないし、日記だって書き出したくはない。ゲームだって始めたくはない。なぜなら面倒だからだ。
初動のスタートに対して勢いを付ける為に今までは煙草を使用していた。
二酸化炭素で頭を曖昧にしつつ、適当に時間を区切ればだいたいのことは始められたからだ。
とはいっても、最近は煙草の悪影響のせいか、身体がダルいことの方が多かったので、煙草を吸っても作業を始めることのできないことが多かったけども。
これについては、煙草を吸っていたときと同じシチュエーションを用意して、頭の中で考えていくしか今は他に手段がない。
例えば、外に行ってこれから着手しないといけない作業について思いを馳せるとか、何でも無い情報量が無の動画を流しながら思案するとか、そういう感じだ。
とにかく、今やっていることから手を離し、遠くに離れて、やるべきことについて考える、というのをやらないといけない。
今までは煙草のついでに行っていたことを、意識的にやらないといけないわけだ。
何も思いつかなくなったときに着想の手助け
これも実質的には同じかもしれない。
今やっていることから離れて、適当に頭を働かせて、何かしら思いつくまで待つ。
これも煙草のついでにやっていたことをやるだけだ。
煙草が無かったとしても同じことができるということを、身体に叩き込んでいかないといけない。
緊張を要する行為の前の儀式
これについては深呼吸で代替ができる気はしている。気功なりヨガなりをやっても良い。とにかく緊張を和らげる肉体的な動作で置き換えていくしかない。
これについても、とりあえずの煙草でごまかしていた部分を、きちんと明確にして言語化し、習慣として取り入れていくしかない。
ニコチンとシラフ
いずれにしてもやっていくしかない。きちんと「煙草が無くても同じことが可能だ」ということを脳に分からせないと、いつまで経っても渇望感は消えていかない。
それにしてもシラフで居るというのは不思議な感覚だ。
アルコールに比べると効果が薄いせいで認識しづらいが、ニコチンを摂取した状態の脳もシラフとはいえない。
喫煙者というのは、ある意味では常時シラフではない状態にあるわけだ。
こうして考えると、なぜ煙草を吸い始めたのかも説明が付く。この現実世界にシラフの状態で存在していることに耐えられなかったからだ。
そして、なぜ辞めようと思ったのかと言えば、シラフの状態が逆に面白いというフェイズに入ったからだ。
シラフで居るというのは不思議である。
昔はアルコールで酔った状態というのが面白いとか、何かでドーパミンをドバドバ出している状態が面白いのだと思っていたけど、若かったからこそそういう思いがあったのだろう。
今となってはシラフでこうして生きている、というのが最も不思議なことのように思える。
何らかの薬物を使って、脳を異なる状態に持っていくことはいくらでも可能だ。
でもそれをせずに、ただどんな薬物も入っていない脳の状態、というのが不思議でたまらない。
これは一体どういう状態なんだ? という好奇心がある。
アルコールを摂取したらアルコールに酔った状態だし、ニコチンを摂取したらニコチンでドーパミンが出ている状態だし、カフェインを摂取したら興奮状態だし、他の薬物だとそれ相応に精神が変化する。
一方で、何も入っていないシラフとは一体なんなのか? という疑問がある。
食べ物や運動によって脳内環境は変わるから、シラフと言っても一概には言えないけども、それはどんな薬物においても同じだ。
子供の頃はシラフでいたはずなんだが、イマイチよく思い出せない。中学時代は思春期だし、高校から大学時代はすでに色々な薬物で脳が破壊されていたので、どうもシラフだったという感覚が薄い。大学院では鬱になったし、それ以降はほぼずっと煙草を吸っている。そして全体的にインターネットポルノ中毒でもあった。
思い返してみるとシラフでいた時期が殆ど無い。シラフでいることを探究するという感覚で禁煙をしていきたいとは思っている。
まぁ、シラフに何か面白いものがあるとは思えないけども、ほどほどにシラフとうまく付き合っていく方法が見つかれば良いという姿勢だ。ネットポルノもニコチンもアルコールもカフェインも、他の薬物についてもそんなに面白いものは見つからなかった。結局人はシラフに帰ってくるのかもしれない。