グルグル同じ行動をやっていく

対処法は明らか

創作意欲がイマイチ湧かない。あと頭がイマイチ働いていない。漠然と頭にモヤがかかっているような気分になっている。

単純に睡眠不足、昼夜逆転、生活リズムの崩壊が効いていそうではある。健康的な生活を送ってないから、健康的な意識状態になれていないだけという結論だ。

リモートワークで概ね自分の感覚で自分の生活を観察していると、だいたい起こる問題は以前に起こったことの再演になってくる。そうすると、それへの対処法もほぼほぼ定まってくる。

例えば、ダルいのであれば生活リズムがおかしくなっている。もしくは運動不足だ。こういうときには風呂に入ったり水シャワーを浴びたりして、気分をスッキリさせれば問題ない。そのうえでジョギングをしたり睡眠リズムを修正していけば健康的な状態に戻ってくる。

もしくは、創作意欲がイマイチ湧かないのであればモーニングノートを書けば良い。とりあえず書いている内に、何かしら無意識から意識に情報が上ってくる。それをなにかの形にしたいと思えば、それがすなわち創作意欲となる。

そんな感じで、漠然とした悩みはあるにしても、それへの処方箋が定まってくる。あとはそれを繰り返すだけではある。こうした対処法については、scrapboxに溜め込んでいる。フローチャートみたいなものだ。

リモートワークの良い点は、自己の行動フローチャートを作れることにあるのかもしれない。こういうときにはどうしたらよいか、外界からの影響が限られているので、だいたいどうすれば良いのかが分かってくる。

一度キッカリ本当にフローチャートを作ってみても面白いかもしれない。

モーニングノート

例えば、今日は「なんかブログが書きたいなぁ」とは思いつつも着手するのに時間がかかっていた。何かしら未着手のものに着手するのにはハードルが大きい。

こういう時の対処法は、これもまたモーニングノートをどこかのタイミングで書いておくことだ。書いておくと、不思議とブログなんかへの着手するハードルが下がる。理由は不明だ。経験則である。

最後にモーニングノートを書いたのは7/6だった。そこから2週間以上経過している。効果が切れるのも仕方がない、という感じである。

なんで書いてなかったかというと、創作意欲があったからだ。動画にしろ絵にしろ、やらねばならないことが存在していた。やらなきゃならないことをやるだけだったので、モーニングノートを書く必要がなかったのだ。

自分の場合、モーニングノートの効果は「何をしようかなぁ」という状況に効いてくる。色々とやれることはあるけれども、何をやればいいのかが判然としない場合だ。そういう時にこそ効果が顕になる。

逆に、やるべきことが定まっている時にやってもイマイチ意味が無いような気がしてしまう。だから2週間以上途切れているわけだ。本当はそういうことは関係なく、毎日やったほうがいいんだろうけども、意味がないならダルいのでやりたくないという感情に負ける。

今はちょうどやりきった後の閑散期という感じなので、こういうときこそ効果を発揮してくる。意識を変えるには行動をするしかないなあという感じだ。

絵と動画と忘我

動画を完成させたり、R-18G絵を完成させたりしたけれども、思っていたより感慨は無い。動画に対してリアクションが結構貰えているのは嬉しいし、R-18G絵を完成させた達成感はあるのだけど、それによって何かが変わったという感じはしない。

結局のところ、ドーパミンの作用とかを考えると、何かを苦しんで作って、それを完成させるという営みそのものにこそ楽しみがあるのかもしれない。だからこそ「何を作るか」を決めることが大事になってくる。

あとは作っている最中のフロー状態、もしくは忘我の状態がいろいろな意識状態の中でもかなり気持ちがいい、楽しいものであるということもある。

何かを完成させるためにフロー状態に入っていると、その間は少なくとも幸福なのではないかという気がしている。

絵を描いていて気付いたのだけど、着手してから最初の1時間くらいは苦しい。その後に、全くやる気の出なくなる時間がやってくる。どうしても手が動かない。

その全くやる気の出なくなるアパシー的な状態を超えると、逆に何も考えずに手を動かせる状態がやってくる。この状態がとても快感だったりする。

この忘我がある種の「楽しい」なんじゃないかと思えてきた。動画編集でも同じだ。ただ目の前の作業を片付けていくだけの状態がある時やってくる。意識が無い。

その状態が気持ちよかったりする。だからまぁ、動画編集はつらいけれども、フロー的な状態になれることがわかったので、作業自体への希望はまだある。

何を作るか?

これについてはモーニングノートを書いていくしかない。不思議なことに、モーニングノートを書いている時にでてきたアイディアに対しては、心の底から「やってみようかな」という気持ちになれる。

動画にしろ絵にしろ、アイディアというはそこそこ溜まっている。どれもやろうと思えば着手が可能だ。けれども、気持ち的な面で「やりたい」という状態にはなれていない。

ところが、モーニングノートで日々適当に文字を書いていると、不思議とその中からどれか一つの選択肢が浮かび上がってくる。これに対しては、気持ちを入れて取り組むことができる。

文章化というのが大事なのかもしれない。このブログの場合は、昔はモーニングノート的な役割を担っていたけども、今はどちらかといえば備忘録と化している。もしくはある種の決意表明だ。もしくは現時点での問題意識を書いている。頭の中を整理する意味合いもある。

行動する縁が無い時の緊急避難先という考え方もある。「なにかしたいなぁ。けど特にやることがないなぁ」という時に、とりあえず書ける場所と化している。これはこれで意味はある気はしている。

結局のところ

をグルグル回していくしかないのかな、とは現時点では思っている。

グルグル回したところで、別にどこかへ辿り着く展望は無いけども、少なくとも「いま」というものは良くすることができる。フロー状態や忘我は気分が良いからだ。

少なくとも、現時点で自分にできることはそれくらいしかないな、という感覚はある。行動の選択肢が明確にあるというのは、もっと漠然とした世界を生きている人に比べれば、まだ幸せな方なのかもしれないとも思ったりもする。