己の中にある闇

リョナと向き合う

2022年の抱負は「リョナと向き合う」ことだったが、未だに向き合えていない。そう思ってリョナ絵を描いてみたものの、どうにも未だに自分がリョナ好きであることを認められていないように思える。

今までに完成させたR18G絵は1枚だけだ。それ以来は断っている。とはいっても、ラフ絵としてはいくつか溜まっているものがあり、頭にイメージが思い浮かぶものの完成させていないだけという状態だ。

まだ抵抗があるように感じている。そこに抵抗したところで意味は無いんだけども、どこかでブレーキがかかっている。趣味的な創作を楽しむ為に必要なものは、ブレーキを外すところにある。R18G絵を描けないのは一つの課題と言えるかもしれない。

キレイな絵を描けるような人間になりたいという欲求がある。一方で、心情としてはそんなものは1ミリも描きたくはない。単純に、社会的に認められるような絵を描きたいと理性で考えているだけだ。欲求は別のところにある。

と考えていくと、そろそろ目をそらし続けていた自分自身と向き合う時が来ているのかもしれない。

動画編集

最近は動画編集をやっていた。動画編集はどちらかといえば、欲求というよりは「言いたいことを言う」というものとして使っている感がある。

noteに文章として書けばよいものを、ただ動画の形に落とし込んでいるというイメージだ。noteに書くのとあまり違いは無い。

動画もセリフを入れるものだし、文章を書くのとそんなに変わらないだろうと考えていたけれども、動画と文章ではやはり勝手が違う。作業中の感覚としては、動画編集はあまり向いていないように感じた。

とはいっても、また言いたいことができれば動画を作りたくなってしまうのかもしれない。感覚として、文章よりも動画のほうがメッセージが伝わっているからだ。いくら文章で書いても伝わっている実感が得にくい。

誰かに伝わっていない限り、何かを発しても徒労に思えてしまう。動画編集は向いていないとは思うものの、やったらそれだけ反応が来るので面白い。メッセージも伝わっている感覚がある。その点では、今は動画の時代だなと感じる。

もう少し適当にできれば良いのかもしれないけれども、今のやり方でやっていくしかなさそうにも思える。

動画編集の大変さというのは、単純作業がとても多いところだ。一つ一つのシーンを作っていくのがとても大変である。

でもまあ、やっていればいつかは完成する。手を動かしていれば完成することが実感として湧いてきたのは良い傾向かもしれない。

今のところ、あまり作りたいと思えるネタは無いので、今のところは絵の方を考えていきたい。

たまに絵と動画でリソースを分散するのは良くはないのでは、と思うことがある。

これに関して言えば「今やりたいことやっていくしかない」というのが現状の結論だ。今更リソースを集中させたところで、絵にしても動画にしても上達はたかがしれている。熱意もそこまであるかと言われたら無い。

だからシンプルに今やってみたいことをやっていくしかないというわけだ。

光が強いところは、闇も濃くなる。自分の中にある闇要素はR18Gに集約されているのかもしれないと感じる。

光を描こうとしたら闇を内包しなければいけなくなる。だから交互にやっていくしかないのだろう。今は闇のフェイズが来ているということだ。

絵について言えば、良い感じの社会に受け入れられる絵と、邪悪なR18G絵を交互に描いていくと良いのかもしれない。モチベーションもそれで保てる気がしてきた。

あまり杓子定規に考えず、己の中の欲求に真摯に向き合うことが大事なのかもしれない。

動画編集がいまいち楽しめていないのは、動画編集に闇を持ち込むことがイマイチできていないからだ。体裁だけを整えている感覚がある。欲求がそこにはない。

動画編集で自由な表現ができるようになったら、これはこれで作業自体も楽しむことができるようになるのかもしれない。今はテーマが無いので保留しておくが、創作というのはいずれにしても絵だろうが動画だろうが同じものだという認識を持った方が良さそうだ。

闇から目をそらすとどこかでバランスが崩れる。闇というのは消せないものだ。常に存在しているし、すぐ隣に居る。

それを踏まえると、己の中にある闇を認めてあげて、優しくするのが大切なのかもしれない。つまるところ、R18Gを描きたくなったら描けば良いということだ。社会性、光、良識といったものが邪魔している気がする。

でも闇はそこにある。抑えつけても別の形で噴出するだけだ。そして、それは概ね自分の望む形ではない。

ならば闇も含めて自己を肯定していくしかない。すべてを許す気持ちが大事だ。

動画編集も、やってみたかったというのはもちろんあるけれども、闇から目を逸らすために始めたのかもしれないなと今になって感じている。

動画にしろ絵にしろ、闇も含めて、もしくは闇の昇華としてやっていけたら、もしくは継続していけるかもしれない。