暇感が低下している

暇にならない

気付いたら7月になろうとしていて、今月は特に何もしていない気がしている。2連続で週末に人と会ったりしていたのだけど、それをすると他の気力が失せて何もやる気にならなくなる気がしている。

基本的には、絵についても動画についても、他の何かしらについても、「暇だから」やっている訳であって、暇ではない状態で無理にやろうとすると、嫌気が増してくる。

何かを作ろうとしたら何かを作り出す気持ちを高めるのではなく、暇な状態をいかに作るかの方が大事になってくる。Youtubeを観ていたとしてもYoutubeに飽きる瞬間というのはある。とにかく飽きることが大切になってくる。

その観点だと、最近は飽きていない。どうにも飽きた感が少ない気がしている。生活は単調なはずなのに飽きている感覚が無いというのはどういうことなのか。理屈は良く分からない。

以前は「死ぬほど飽きている」みたいな状態が何回か訪れていた。漠然とした時間があって、それに対してどう対処すれば良いのか分からなかったからかもしれない。今は動画を作成したり、絵を描いたり、他にも色々とやることが増えてしまったので、イマイチ暇だという感覚が無い。

暇ができたので暇を埋めた結果、暇じゃなくなって飽きている感覚も失せてしまった。うーん、どうしたもんかな。

世の中には真に飽きていないとできない行為もある。

動画を作るとしても、動画を作りながらも「絵を描こうかな」と考えたりできてしまうのは、メリットとデメリットがある。他の暇つぶしの手段があると、暇つぶしの中から何かを選ばないといけないので、これもこれで負担であったりする。

動画

どうにも動画を作る気がしない。精神状態を深掘りしてみたら、どうにも絵を描いていた時にも起きていたある種の「恐怖」がある気がしている。

2021-10-28 の日記に絵を描いている時に生じる恐怖心について書かれている。これは動画を作る過程でも同じことが起きる。絵の場合は完全に慣れてしまったし、絵を描くことそのものはすでに特別な行為ではないので、問題は解決している。

動画についてはまだ慣れていないというのもあるし、イマイチどういうことができるのか分かっていない。そういうことがあって、やはり恐怖心が湧いている気がしている。

これについても、ただ心を無にしてやっていくしかない、というのが結論になりそうだ。動画を作るという行為に意味は無いし、そこに何かしらの感情を付与してはいけない気がしている。

もちろん作業中にだんだんと楽しくなってくるとか、そういう部分が良いんだけども、もっとドライに対象を捉えるべきだという話だ。何かに迷ったら絵に対しての恐怖心を書いた日記を読み返せば、どう解決すれば良いのかはわかりそうだし、恐怖心は既知の問題だと言える。

まぁ、そもそも論として「そこまでして作る必要はある?」という問題はあるんだけど、それについては気持ちの問題だ。世の中には意味のあることが無いので、意味の無いことをしていくだけだ。

自然体ではない

あと最近は自然体になれていない気がしていた。週末を外出に使いすぎたのも影響していそうだ。もっとどうでも良い日を増やさないと疲れていくばかりだ。何かに追われているような感覚にもなってくる。

別にどうでもよいし、健やかに過ごすことの方が大事だ。そして、健やかさを保つ条件として一つ心当たりがあるので、それについては実行していこうと思う。

昔のことを思い出す

「なんか暇って言葉を使いすぎているな」と思って、ふと昔のことを思い出した。自分は小学生の頃から「暇だなぁ」というのを良く言っていた気がする。暇を潰す方法、というものに執着してインターネットをやっていた記憶もある。

暇だから何かをやる、というのがもう幼少期からのレベルで刻み込まれた活動傾向なのかもしれない。逆に暇じゃなければ何かをやろうという気にはならない。暇だから何かしらをやれるのだ。

最近バイクに乗れてないのもひとえに暇じゃないからだと思う。暇か暇でないかは、主観の問題だ。客観的にどれだけの時間が余っているかというのは関係がない。無職で24時間を自由に使えても焦燥感に追われている人間というのは居る。

主観的な暇感をどうやって増やしていくか、というのが目下の問題となるかもしれない。どうやれば増えるんだろうか。

やらなきゃいけないことをやりきって、その上で特に面白いと思えるものが無い時には暇だ。

ちょっと違いそうではある。どちらかといえば、何にも考えないで済む時に暇になるのかもしれない。何かしら考える対象があるのであれば、それは暇じゃない。例えば、お金の心配をしないといけないなら、どれだけ時間があっても脳はそこに思考リソースを取られる。

前も書いた記憶があるけども、ここの日記の頻度は「暇度」のバロメータだ。暇を感じてないと日記なんて書いてネット上に公開したりしないからだ。日記を増やしていく指向性はありかもしれない。

あと、大事なことなので書いておくけども、暇感を消失させるタイプのサプリも存在する。そういうのは飲まない方が良さそうだ。何事にもメリット、デメリットはある。

最近気づいたのは、暇感が低いとインプットに向いていて、暇感が高いとアウトプットに向いているということだ。だから、アウトプットのために暇感を低めるようなサプリを使うのは逆効果だったりする。

今後は「暇感はどうしたら高められるか」を軸に生活を考えていこうと思う。あまり予定とかも入れない方がいいのかもしれない。ただ暮らすということが大切になってきそうだ。