動画の投稿と欲求について

動画をどうやって作るかに悩んできた5月の後半だったけども、ようやく動画を投稿することができた。

面白いかどうかはともかくとして、とりあえず完成までこぎつけることができたのはとても喜ばしい。5分の動画を作るのに20時間以上はかかった。でもまあ初めてだしこんなもんじゃないかという気もする。

作っている最中はやはり面白い。なんだかんだで何かを作るという作業は面白いものになりがちだ。だからできればどんどん何かを作りたいという気持ちはあるんだけども、作りたいものがそんなに無いという厄介な問題がある。

絵も同じで、どんどん絵を描いていきたいけれども、特に描きたいネタが思いつかないという問題がある。別になんでも良いと言ってしまえばなんでも良いので、着手することが大切なのかもしれない。

とにかく着手することが大切なんじゃないだろうか。一旦作りだしてしまえば何だかんだなんとかなるものだ。適当なアイディアをストックしておいて、暇になった時にとりあえず手を出してみる。その繰り返しで生きていくしかない。

いずれにせよ、「何かめちゃくちゃ面白いネタ」が頭に思い浮かぶのを待っていたとしても、そんなものは一生やってこない。手を動かすことの方が大事である。

今はちょうどよく暇な感じがしている。頭の中で処理しなければいけない問題も特に無いし、どうしても見たいと思えるような動画も無いし、特になんの欲求もない感じだ。たまにある凪の期間に入っている。

そうでないタイミングもある。なんだか分からないけれども、どうしても戦争映画が見たくなってしまったり、ドキュメンタリーが見たくなったり、過去の名作マンガを読みたくなってしまったりすることがある。なんだか分からないがそういう欲求を感じるタイミングというものがある。

逆に、何にも興味が出ない無のタイミングもある。この繰り返しは2年間の引きこもり生活で味わってきたので、今後もそういう繰り返しを生きるのだろう。そして、暇なタイミングであれば何かを作っていればそれで良い気がしている。

兎田ぺこらの動画をどうしても見たいとか、ひろゆきの動画を見まくりたい、みたいな謎の欲求が生じることがある。そういうときには抗わない方が良いのかもしれない。なぜならそういう欲求があるという状態というのは、異常な状態だからだ。こうして特に何にも見たいとは思わないな、という状態の方が正常なのかもしれない。

暇とコンテンツ欲求の波をサーフィンして生きていくことが大切だ。昔は暇だとゲームをやるくらいしかやることがなかったけども、今なら絵を描いたり動画を作ったりすることもできるし、まぁnoteに何か文章を投稿することもできるので、なかなか面白いんじゃないかという心持ちでいる。

何をするのか

とはいっても何をするのかという問題はつきまとってくる。何かをしなければいけない状態も苦しいが、何をやっても良いという状態も苦しいものだ。特定の何かをやるということを、自分で決めて実行しなければいけない。そこに「やってみたい」という欲求があれば良いのだけども、そうでない場合にはとても難しい。

あーでもこうして文章を書いていたらなんとなく絵を描きたい感じもしてきた。動画はとりあえず良いかなという感じもする。伝えたいメッセージなんてものは特に無いし、なんとなく無心で手を動かしたい気分でもある。

絵であれば適当に模写をしたり、適当に描き始めたりすることができるので、そこまでハードルが高くはない。動画の場合はその瞬間だけでも良いから「これだ!」と思えるものが無いと難しい。適当に始めると動画を作っている最中に苦しむことになりそうで恐ろしい。

なんかまあ、色々とできるなぁという感じだ。わりかし無になっている。結構気合を入れてやっていた動画編集の作業が一段落したから、そうなるのも致し方なしといえばそうか。

モーニングノート

モーニングノートがわりかし良い説はある。今回作った動画のネタもモーニングノートに適当に書き付けていた時に思いついた。思いついたまま「これを作るしか無い。作れそう」という気持ちになれた。正直、この気持ちになれないと何かを作るというのは無理な気がしている。何をするにしても目の前に広がる作業量は膨大だからだ。

あと、理性的に何か欲求を見つけるというのも不可能という気がする。欲求は論理的なものではないからだ。とにかくモーニングノートなり何なりで手を動かして、頭からドーパミンを出して、その時に思いついた何かに身を任せて、初動の勢いに乗ったまま最後まで行くしかない。それ以外に選択肢は特に無いのだ。

「何をしたら良いのか分からない」という時にモーニングノートは有効だ。わりと自分が何をしたいかというのは、なにかに書き出してみるまでは不明なものだからだ。理性で考え出した行為はあてにならない。

そんな感じでモーニングノートは有用なんだけども、結構サボってしまいがちだ。というのも、何かをしている最中は「何かをやりたい」ではなく、眼の前の作業に集中しなければならないので、モーニングノートは徒労に感じてしまう。そうであっても何かを物理的に書き付けるというのは脳に良いんだろうけれども、それでもダルいものはダルいのだ。

このダルいを乗り越えてま「何か作りたいものを見つける」という作業をできるかどうか、という問題も浮上してくる。まぁ色々と大変だ。結局は何をするにしても暇つぶしなんだし、暇をいかに潰すか、という考えでいった方が良いのかもしれない。人生の時間を潰していくというのも一筋縄ではいかないものだ。

1ヶ月くらいは続けてみようかなという気持ちもある。なんか気合いでモーニングノートくらいは続けてみようかな。とりあえず一つは「これは有用だ」と言い切れる習慣があるのだし、それくらいは続けてみてもバチは当たらない気がする。それで生活がどう変化するのかも気になるところだし。

まぁこんな感じで最初は「なんか動画投稿も終わって暇だな。何しようかな」と思っていても、日記を書いていく内に次にやるべきことが見えてくることがある。脳は不思議だ。人間というのは普通に生活をしていても、自分の持っている欲求を正確に把握することができない。