大作ゲームはしんどい

3月中は色々と忙しかった。主にエルデンリングとダイソンスフィアプログラムとモデルナとキャンプと戦争のせいではあるんだけども、それらだけでも月の3分の2以上を占めていたような印象がある。とにかくやることが多かった。やらないといけない訳ではないけども、忙しいという感覚ばかりあった。

体力的にもだいぶキツくて、ここ最近はあまり活動ができずにいる。時間を食いすぎた感がある。なんとなく主体的に行動できていない感覚がある。

そもそもゲームというのは時間に対してのコストが大きすぎる。アニメでさえ1クール見ても3時間程度で済むが、ゲームとなると一本で数十時間を容易に食わされる。そういった意味ではゲームというのは時間コスパがよろしくない。

金に対するコスパと時間に対するコスパという考え方があって、現代は金よりも時間に対するコスパの方が意識されがち、というのは良く言われる話だ。それに対しての反論はもちろんある。ファスト映画なんかが良くない例の最たるものだけども、それはそれとしても、やはり時間コスパの観点でのバランスが大事なような気がする。

エルデンリングまでは良かった。こんなゲームは数年に一度発売するかどうか、というレベルのものだ。1年に1本あれば良い。だからエルデンリングを100時間プレイしようがそこには満足感が残ってくる。だけどもダイソンスフィアプログラムについてはやりすぎた感がある。さすがに疲弊した。

そもそもとしてプレイし始めちゃったのが良くないんだけども、モデルナの副反応の頭痛で何もやれることがないから始めたものだった。予想以上に時間を食ってしまった。20時間くらいで終われば良いんだけども、クリアまで60時間近くかかったのは流石にボリュームが多すぎた。

最近は常々思うけれども、20時間以内で終わるくらいのゲームがちょうど良い。なんなら10時間以内で終わって、1日でクリアできるインディーゲームくらいがちょうど良いというのもある。一つのゲームにそこまで時間をかけたくないというのが本音だ。ゲームなんて大概は気晴らしに過ぎないので、そこまで時間がかかると段々とつらくなってくる。そんなにハマれるものでもないし。

一つのことを延々とやり続けるのは、自分には苦痛だ。世の中には一つのゲームを延々と数千時間もプレイできる人がいる。そういうのは結構羨ましく思える。なぜなら自分はそういうことができない人間だからだ。RTAとかも同じゲームを延々とプレイできるのが凄いなと思える。やはり「飽きる」というのが結構自分にはつらい点だ。

これはもう脳の問題であり、遺伝子から受け継いだ形質の問題だから自分ではどうにもできない。飽きるといったら飽きるわけであり、飽きたら苦痛が生まれてくる。あえて苦痛を受け入れる意味もないので、自分にとって丁度よい生活を営んでいくしかない。

どんなに面白いものでも飽きてしまうというのはどうなんだろうと思う。ソシャゲとかも続かない。エルデンリングですら最後の方は多少だるくなってきた。結局、1つの大作を100時間プレイするよりも、20時間のゲームを5本プレイした方が満足感は高いのかもしれない。そんなことを思ったりもする。

後から思い出して「このゲームめちゃくちゃハマってプレイしてしまったな」というものですら、プレイ時間を見てみると10時間程度だったりする。記憶の中で大きな割合を占めるかどうかはプレイの合計時間には依らない。だとすると軽いゲームを複数やったほうが良いじゃないかという話になってくる。

こうやって考えると、一番コスパ的なものが良いのは映画だったりする。2時間でかなりの満足感が得られるし、記憶にも残りがちだ。問題があるとすれば受動的であるという点だ。続けて見ていると段々と脳がダレてくる。能動的なものだとやはりゲームになってくる。

まあ色々と書いたけどもコスパで考えるのはgmの発想なので、やりたいようにするのが正解ではある。でも今回は流石に疲弊したので考え直さないといけないなと思った。数十時間を費やすとある種の燃え尽き症候群みたいな状態になってしまう。そうなると疲労感で何もできなくなって生活がガタガタになるのであまり何か1つのことにハマるというのも良くないのかもしれない。

やることなくて暇だな、というが一日の数割を占めているくらいがちょうど良い。あまり予定を入れるということはしたくない。ゆとりを持つというよりは、飽きているくらいが丁度良いんじゃないかという気がしている。