戦争が起きたりモデルナ打ったりゲームが楽しかったり

この1ヶ月で色々なことが起こった。もう何も分からないので羅列していく。

ということで、色々とあったので一つずつ解決していきたい。

戦争が起きた

戦争って何?って感じだったんだけど、どうやらマジで戦争が起きているらしいです。youtubeで【豊島晋作のテレ東ワールドポリティクス】シリーズを見た。これが実に面白いです。日本の解説の中では一番分かりやすいし、面白いし、客観的に感じられる。他にもひろゆきの戦争に関する切り抜き動画を見まくったりしている。

はたまた新書の独ソ戦を読んだり、ヒトラー最後の14日間を見たり、今まで手を出していなかった1984を読んだりしている。戦争に関連する情報の一つ一つが興味関心を引き立てる。1ヶ月前は「なんにも面白いことがない」という状態だったのに、今となってはそんなことは昔の話だ。情報を追っかけたり知識を取り入れたりするので忙しい。

やはり現在進行系のニュースに関連することを頭に入れるのが一番おもしろいのかもしれない。コロナが流行った時もそうだった。なぜ感染症は爆発するのか、どうしてビル・ゲイツはそれを予測できたのか、コロナによって社会はどう変化するのか、といった言説を読みまくるのが面白かった。コロナ関連であれば、今ならワクチンの仕組み解説みたいな本を読むのが一番楽しめるかもしれない。

あとウクライナ関係で言えばyoutubeのさわやんゲームズを時折みている。これもかなり面白い。面白いと言うと語弊があるかもしれないけれども、興味を持って見ることができる。社会の激しい変貌を感じられる。

戦争が今後どういった道筋を辿るのかは知らないけれども、それはそれとして関連する情報を取り入れるのは面白い。ミサイルが撃たれたらそのミサイルの関連情報が無限にあるし、戦闘機が落とされたらその関連情報が無限にある。過去の歴史にも似たような事例はあるし、なんなら核爆弾の歴史でも良いし、広島・長崎の詳細な解説本みたいのを読んでも良い。

こうして一つニュースがあるとそれに関連する情報を無限に摂取していられる。飽きたというのとは真逆の状態だ。やはり「怖いもの」があるとそれへの対策として知識を入れたくなってくる。スターリンとか社会主義について学んでも良い。

緊急事態の方が頭が働くというのはこういうことかもしれない。なんでもない日常と緊急事態。どちらの方が活動量が多くなるかといえば、緊急事態の方だ。でもまあどちらの方が良いというものでもない。日常は日常で絵を描いていれば良いし、緊急事態には早急に頭を働かせれば良い。両輪という感じもする。

エルデンリングが発売した

ブログの存在を忘れていた理由としてはこちらのほうが大きいかもしれない。廃人のようにプレイをして、友達とエルデンリング談義をしまくり、設定の考察をしたり読んだりしていたら1ヶ月が経っていた。というか、戦争関連でも言えることなんだけども、飽きたりしないとブログなんて書かない。他にやることがないからブログを書こうかな、って気になるのだ。読みたいもの、見たいものが氾濫している時にブログなんて書く気にはならない。

エルデンリングは凄く面白かった。色々と書こうと思えば書けるけど、今更書く必要ある?って感じもする。ひたすらに面白くて、ゲームってこういう感じだったなという気持ちになれた。最後は弱体化前の霜踏みでクリアしましたけどね。

久々に面白いゲームが出たなという感じもする。エルデンリングをクリア後は「もうゲームは当分良いかな」って気分だったが、今は他にもダイソンスフィアプログラムをプレイしたり、ghostwire:tokyoが面白そうに見えたりしているので、満足なんてしないんだろうなという気もしている。

エルデンリングは面白かったけれども、やはりゲームでもなんでも後半は作業感が強くなってしまうというか、初期から中盤にかけてのワクワク感というのは失われていくな、とは思った。どんなに面白いものでも、慣れてしまえば楽しさは失われていくものなのだなと強く感じた。

クリア後にやれることといえば、2週目3周目をやるとか、他にも考察をするとかがあるんだけども、どれも今は義務感が少しあるのでやらないようにしている。今となってはダイソンスフィアプログラムの方がプレイしたい。

モデルナとダイソンスフィアプログラム

モデルナの3回目を打った。これの副反応がかなり強くて、3連休にプラス一日休んで4連休を副反応と共に過ごしたんだけども、そのうちの70%くらいの記憶が無い。というよりも、副反応の頭痛がなかなか抜けずに、他にやれることもなかったのでひたすらダイソンスフィアプログラムをプレイしていた。

アニメとか映画みたいに受動的なものだと痛みが気になって集中することができない。逆にダイソンスフィアプログラムみたいにひたすら無になって作業するだけのゲームはちょうどよかった。時間を忘れることもできたし、気づいたら副反応からくる頭痛も消えていた。

そういえばモデルナ3回目を打つ前日に、東京のドーミインに泊まっていた。ちょうどドーミーイン内のサウナに入っている時に地震があって、なんだかどこか遠くの出来事のようであった。正常性バイアスが働きまくっていた。その翌日にモデルナを打って、その後にダイソンスフィアプログラムをプレイしまくり、今に至る。なんならダイソンスフィアプログラムは現在進行系でプレイをしている。緑キューブの量産が難しい。

地震や戦争よりもゲームの方が大事なことのように思えてしまう。この感覚は平和に繋がると思ってるんですけど、どうなんでしょう。正直なところ、アニメみてゲームしている人間が一番平和的な存在かもしれない。金も使わないし、特に何もしないし。

twitch

あとはtwitchでお絵かき配信を始めた。なんなら人は一人も来ないけれども、作業配信としては良いのではないかと思っている。特に練習系ってのは面白いとはとてもじゃないが言えないし、夜だと疲れていてなかなか集中もできないし、その手助けみたいな感覚で使えたら良いなとは思っている。

絵なんて継続していくしかないところではあるけれども、日常が崩されているせいかなかなか継続性が落ちている気がする。やっぱ「なんにも面白いことないな」くらいの状態の方が絵を描くのは捗る。twitchで練習配信をするにしても、ブログを書くにしても、なんにも面白いことが無い状態にしないといけない。

今だとダイソンスフィアプログラムをプレイしたい気持ちが強いので、なかなかお絵かき配信のハードルは高い。というのも、やはり人間としては面白いことをやっていたいので、面白い順が

ダイソンスフィアプログラム > お絵描き練習 > なんにもしていない

だと、どうしてもダイソンスフィアプログラムをプレイしてしまう。さっさとクリアしてしまう飽きるなりして、面白いものを打ち消していくことが大事だ。この辺については色々と考える余地がまだありそうなので、また他の日記でまとめたい。面白いものが無いという状態も大切なんですよ、ということを書いておきたい。

おわり

ということで色々とあったけれども、逆に何も無かったなという一ヶ月だった。ブログの更新頻度が高いときは「何も面白いことが無いんだな」ということだし、ブログの更新頻度が低いときは「なにかハマってるものがあるんだな」ということでもある。そしてそのハマっているものが一段落した後でないとなかなか何かを書く気にはなれない。

今日はちょうどモデルナの副反応から回復したし、ダイソンスフィアプログラムもそこそこ安定してきたので、何かしら一段落がついた気持ちになれていた。だから日記を書けたという気もする。今週末はキャンプに行くので、そのキャンプが終わったらまた一段落が付きそうだ。

やることが多ければ多いほど退屈はしないけれども、日記を書いたり絵を描いたりといったものの進捗は落ちていく。二律背反している感じである。進捗を生みたければ精神を退屈させれば良いんだけども、他に何かしら良い方法はないかなとは探っている。まあ無いかな。無いかも。暇でやることがない状態にもってかないと日記や絵なんて生み出せないな。そんな感じの結論になります。今のところは。