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実家でなんもなし
なんもなし
ずっと絵を描いていました。この2ヶ月間でいろいろなことがあったような気もするけれども、特に何も無かったのでしょう。ひとまず絵だけ描いてました。
実家に帰ってきてからは代わり映えの無い生活をしているので特に書き残しておくこともありません。ラーメンを食べてタバコを吸って銭湯へ行ってサウナへ入ってたまにバイクに乗って絵を描いているだけです。その合間に仕事をしています。そんな生活をただ延々としている。
面白い出来事があったかというと、それもありません。なにかあったかな? 特に無かったような気がしている。でもまぁ人生なんてそんなもんじゃないでしょうか。何も無い生活を受容するのにもコツが要ります。地方で暮らしているとそのコツを習得することができるのでオススメです。
そういえば登山をしたりきゃすけっとに参加したりはしました。登山は登山でいろいろなことがありましたし、きゃすけっと参加においても色々と思うことはありました。それでも感想を書き残しておく気は起きません。ああいうのはやった直後の熱量が多い時にバーッと感想を書いてしまうのが良さそうです。
今となってはもう実家に帰る前の気持ちも忘れてしまいました。コロナになった直後の感覚も全ては過去の中です。絵についてもそう。絵の描き方が分からん分からんといっていた頃の記憶もありません。いや、未だに分からないことは多いんですが、全く何も分からず0だった頃よりは何かは分かっている感覚があります。
そんなこんなで全ては過去の中に押し込まれていきます。日記を書くという行為はそういった時の流れに少なからず抗う行為だと思っています。何かを残しておくというのはそういうもの。それをしなくなったというのは、自分が田舎に戻ってきてその生活に満足しちゃっているからでしょう。抗う必要がなくなってしまった。
実家なので一人暮らしではなくなったということも大きいのかもしれません。一人暮らし特有の緊張感は失われています。やはり人間は独りでいるときと複数人でいるときとで感覚が違うらしい。独りで居たときのキレた感覚は実家では得られない気はします。
そんなこんなで特に何もありません。生活のルーティンは確立してしまいました。あと自分にできることってなんだろう? 特に何も無いなと感じます。あとはまぁただ生活をしていくだけです。一週間前と今とでこれといった変化が無いんですよね。
いや、変化はあるか。ホワイトアルバム2をクリアしたりしていました。かなり感想が多かったんですが、それについては知り合いに吐き出すことで満足してしまいました。なかなか難しいところがありますね。日記に書き残しておくということにはならない。
あと絵を描いているせいか、絵を描いている脳と文章を書いている脳がいまいち整合していない感覚がある。いまいち言語化はできないんですが、情報の伝え方、情報の捉え方の切り口が全く異なっている感覚があります。
そういえばお絵かき配信をやっているのも大きいかもしれません。そこで言いたいことはすべて言ってしまうので、日記でまで吐き出したいことがほぼほぼ残っていない。だいたいどこかで吐き出せれば満足ですからね。どこにも吐き出せない場合に仕方がなく日記を書くというパターンが今までは多かった。
あーこうして書き出してみると、なんだかんだ色々とやっていますね。何も無かったというのは嘘でした。2ヶ月間も生きていると、実家とはいってもいろいろなことが起こるみたいです。モーニングノートを始めたりして、その感想も書いていませんし。単純に日記を書くのをサボっていただけみたいですね。
6月ごろの日記を見ると絵を描きながら発狂している様が読めて面白いです。もう3ヶ月も前のことになるのか。
文章で何かを残しておくのも、絵で何かを残しておくのも一長一短ですね。自分の場合、独りで日記を書いていると感傷的な気持ちになってメンタルに負荷がかかることがあるので、それを避けていたのかもしれません。絵は他者のことを描きますが日記は自分のことに偏りがちだからです。なかなか難しいねんな。
人生ってのは色々だなぁと思います。もうそんな感じで生きていくしかありません。何も期待せず、何も頑張らず、ただ委ねるがままに生きていきます。あとは神頼みですかね。神に祈るだけはしておこうと思います。なにか良いことがあったら良いですね。それでは。