絵の面白さと全盛期の松本人志

面白さ

絵を描くことの面白さとは一体なにか。頭の中のイメージを具現化できるとか、可愛い女の子が描けるとか、身体を動かして線を描くのが楽しいとか、色々とあるとは思いますが、自分が強く思ったのはコミュニケーションの手段なんだなということです。

文章というのは否が応でも時間がかかります。その分だけ詳細度と正確性が増しますが、直感的なコミュニケーションには向いていません。そして現代は日を経るごとにますます直感の割合が増している。

そういう意味で人はもう絵からしか情報を取得しません。もしくは短い動画でしょうか。Tiktokみたいな。Youtubeでもサムネイルはもっとも大事な要素の1つです。そういった意味で、今の時代に人が人に何かを伝えたいと思ったら絵を作るしかないんじゃないでしょうか。

絵でなくても動画でも良いかもしれませんが、これも長いものだと敬遠されます。世の中には無限にコンテンツが存在しているので、よほどのこだわりや関係性が無い限り長い時間を使いたくないと思ってしまいます。

1枚絵というのはだいたいは一瞬で流されていきますが、それでも一応は情報を伝達することはできています。一時期プログラミングは現代において必須だ、という言論が巷では騒がれていました。これからの時代は絵を描けることもそれ以上に大事なんじゃないでしょうか。

意見表明をしている絵が嫌われるのはそこから来ているのかもしれません。たとえば文章で延々と書かれた強めの意見があったとしても、それは読まなければ目に入って来ません。これが漫画で描かれていたら否が応でもあちらから情報が入ってきてしまいます。

人と人との間で凄く直接的にデータが送受信されるなと感じます。そういうものが入ってくるのが嫌だから人は理解のある彼くんネタなどを叩くんじゃないでしょうか。あれが漫画じゃなくてTwitterで呟いているだけだったら誰も見向きもしませんからね。

自分はまぁ人とコミュニケーションを取りたいと思っている方です。ですがインターネット上で人とコミュニケーションを取ってもいまいち実感が湧かない。現実で飲み会で一緒に喋ったりすれば「情報が伝わったかもな」くらいには思えるんですが、ネット上でそれをしてもあまりピンと来ない。

だから絵の練習をしているのかもしれないなと思った次第です。もっと即物的かつ直接的にデータを作る必要があるのだなと思います。話を聞いてくれるような親しい身内が居ればいいんですけどね。そうでもないので、まあ孤独に闘うしかないですね。

キャシー塚本は怖い

昨日の夜にふと気になって『トカゲのおっさん』を見ました。結構前のことになりますが一時期ごっつええ感じのコントを見まくっていた時があります。その時には『トカゲのおっさん』は第一話目から挫折しました。

ほうぼうで絶賛されているコントですけども、それでも面白いとは思わなかったんですね。当時は妙味みたいなものが理解できなかった。昨夜1話目を見たらちょっと面白かったので、そのままの勢いで全話を見てしまいました。

想像以上に悲惨な話でした。誰かが「純文学」と書いていましたが、まさにそうだと思います。純文学っぽい悲惨さが滲み出ている。

簡単に話を要約すると、トカゲのおっさんは半人間、半トカゲのおっさんで、辛い目に合えば合うほどトカゲに近づいていってしまうという恐ろしい話です。最終話では刑務所内で9割くらいトカゲになってしまい、「つづく」とは出ますがその先の話はありません。

トカゲのおっさんはああ見えてインテリです。インテリというか、そこそこ頭が良い。第4話で初めておっさんの住処が描かれるのですが、そこには本がたくさんあるし90年代初頭あたりが舞台だというのにそこにはパソコンがある。それにおっさんはインターネットを使いこなしている。

言葉の節々にも教養が見えます。そして良い人です。でも弱い人間です。そもそも半分がトカゲなので人間社会にうまく溶け込むことができない。こうして書いていると、本当にあれはコントだったのか? と疑問に思います。

コントというか舞台劇なのでは? シソンヌと近いなと思います。シソンヌのコントは松本人志的なものから露悪的なものが抜かれているのかもしれない。よく女装もしますし。見終わったあとに残る哀しみも何だか似ているような気がしてきました。コントって突き詰めるとそういう方向になるのかもしれません。

でも自分は完全に馬鹿馬鹿しいのも好きです。たまに哀しみに満ちたコントをやりつつ、いつもは馬鹿馬鹿しいものをやってくれる。ごっつええ感じもシソンヌもそうですね。いまは良いものがたくさんあるなぁと思います。

『トカゲのおっさん』の後は流れで『キャシー塚本』も見ました。こちらも昔は理解できなかったというか、他の面白さが分かりやすいコントと比べて何を面白がればよいか分からなかったコントです。

『キャシー塚本』を改めて見てみて、自分は松本人志の本質はイタコなんだなと思いました。自分の身体に"何かを降ろして"きて、それを表現する存在ですね。キングオブコントの会でのコントもそれと似たものでした。トカゲのおっさんも1話目は完全にそうですね。

昔のインターネット風に言えば"電波を受信する"とかですかね。とにかくどこかから何かを降ろしてきてそれを憑依させているということです。

それを踏まえて『キャシー塚本』が"面白い"のか? と言われたら微妙なところです。あえて言うなら狂人を観察する面白さはあると言えます。キャシー塚本は完全に狂人です。

あとはまぁ大喜利を追求していた松本人志がああいったただの狂人を演じる、というギャップにも面白さがあるとは思います。松本人志がやってこそのコントですし、松本人志以外には誰にもできないコントですね。松本人志と切り離して見れば完全にただの狂人ですもん。

いやあでも分からないですね。考えれば考えるほどドツボにハマる気がする。まだ『トカゲのおっさん』の方がストーリーもある分、自分の中で腑に落とせやすい。キャシー塚本には深入りしないほうが良いのかもしれません。深淵を覗き込むものは、っていうアレです。

トカゲのおっさんは善性ですが、キャシー塚本は邪悪です。松本人志の演じるキャラクターって大抵は善性で虐げられているものがほとんどです。そうした中で邪悪な存在のキャシー塚本は際立っている。なにか良からぬものを受信しちゃってたのかもしれません。

やっぱ松本人志ってホラーですね。笑いとホラーが紙一重に揺れ動いている。端的に言ってしまうと天才だということなんだと思います。面倒だから「松本人志は天才」と言っておけば問題ありません。ありがとう松本人志。