中学時代の友達と桃鉄をやりました

桃鉄の新作をSwitchで買いました。いざ購入しようとしたときにニンテンドーアカウントがBANされていることに気づき面食らいましたが、冷静に新しいアカウントを作ることで事なきを得ました。ググってみたらニンテンドから一度BANされたらおしまいだとの旨が至るところで見受けられたので、アカウントについては諦めています。

それはさておき、桃鉄を買ってしまったのは友達に誘われたからです。それも中学時代の。3人まで集まっていて、4人目として桃鉄をやらないかと誘われたら買わざるを得ません。一人だったら買っていないと思います。

桃鉄、プレイを始めるまでは一体何が楽しいのか一切分からないんですが、実際に4人でプレイしてみるときちんと楽しいから意味が分かりません。3連休の初日に3年間、3年間、10年間のゲームをほぼ丸1日かけてプレイしてしまいました。プレイ中、何度腹を抱えて笑ったか分かりません。気心の知れた人間がボンビーで堕ちていく姿がなぜあんなにも笑えるのか……

桃鉄は絵柄が何か大人の事情で変わりはしたものの、いつもの桃鉄でした。プレイ感はいつも一緒です。今までの人生でプレイしたいつ何時の記憶であっても、どのゲーム機でプレイした桃鉄であっても、今回の新作桃鉄とプレイ感は一緒で笑ってしまいます。”令和”と副題にありますが、何が令和なのか一切分かりませんでした。夜叉姫が異常に可愛くなっていて、そこだけは令和感がありました。

桃鉄と同様に中学時代の友達も中学時代から何一つ変わってなくて驚きました。逆に自分の性格が変わったのではないかと不安になってしまうくらいです。人間って根っこの部分は中学時代に完成されていて、それ以降の変化なんて他者からしたら気づけないほど些細なものなのかもしれないなと思いました。

ぼくの場合は中高大現在と人格に断絶がある気がしてならず、常に笑ってはいたもののたまに居心地が悪くなる瞬間がありました。中学時代の自分なんてどんなだったのか全く思い出せません。

大学時代にも今回とは異なるメンバーで桃鉄をプレイしたことがありますが、その時はその時で今とは違ったテンションだった記憶があります。桃鉄自体の変化が少ないことで、記憶の中の今とは異なる自分のテンションが殊更際立つ気がします。たまに感じた居心地の悪さはこの辺に起因しているのかもしれません。

桃鉄のプレイ中、友達に仕事先から連絡が来てるのが大変そうでした。前々から決まってるならともかく、休日にいきなり連絡が来るのは狂ってるなとは思いつつ、あまりそこには突っ込みませんでした。桃鉄のためにホワイト企業へ転職しておいてとは言っておきましたが、友達は言葉も流暢で血色も良かったのでそんなに大変というわけでもないのかもしれません。個人的に思うことはありましたがこの令和の時代、”仕事”というものの捉え方は人によって大幅に異なるのであまり考えないようにしたいと思います。

次に桃鉄をプレイするのはいつになるんでしょうか。どこのコミュニティであれ4人集まるのであれば自分はいつでも飛んでいきますが、我々くらいの年齢になると桃鉄のために4人を集めるのもなかなか難しかったりします。AmongUsも面白いのに人が集まらずに大変でした。世の中ってのは良く分からないですね。ちょっとモヤモヤしてますけども、モヤモヤはあまり言語化せずに放置しておきます。良く分からないままに歳をとって桃鉄を楽しくプレイしていきたいです。もう少し経てば老人ホームで老人たちがワイワイと桃鉄を楽しんでいる様子が見られることでしょう。未来ですね。