Windowsが死んだ

Windowsが死んだ

死にました。Cドライブに入れていたデータは全て吹き飛びました。どんなファイルをデスクトップに置いておいていたかや、どんなソフトウェアをインストールしていたかなどの記憶は曖昧なので、特別なファイルは特になかったのだと思います。

Windowsが死ぬ直前に書き、クラウドへ保存していなかったこのブログの草稿も消えました。新たな生活への豊富とアカギの面白さを綴った結構満足のいく文章だったのですが、消えてしまったものは仕方がありません。惜しくもありません。いや、惜しいですけど仕方がありません。

ポジティブに捉えるのならば、2~3年ほど使いまわして重くなったWindowsを一新できたので良かったのかもしれません。引っ越しや断捨離みたいなものです。

Windowsが死んだ直接の原因はDriverHubという怪しげなツールを使ってドライバーの更新を行ったことです。1度使ったらキーボードを認識しなくなり、ツール経由で復旧をしたらWindowsが死にました。ググれば危険喚起の記事がたくさんあるので、責任はすべて油断していた私にあります。

リングフィットをサボっっていたり、4連休中に夜ふかしをして体調を崩したりと、最近の私はとても油断していました。その油断が今回のWindowsの死へと繋がったのだと思います。短期的にではなく中期的な視野でみると、1日1日と今回の事件に対する伏線を自分で張っていたことが分かります。

崩壊というものは日々のちょっとした習慣の繰り返しによって起こるのかもしれません。ちょっとしたサボりや手抜きがビッグピクチャー上での小さな綻びとなり、そこから全てが崩壊していくなんてことがあるのかもしれません。そんなことを思いました。

「やることない」「なんか面白いことないかな」って時の選択肢

みたいな感じです。

「面白いことはそんなに無い」ってことを前提に生活しているつもりだけども、生活リズムが狂うと何かを取り戻したくなってしまいダメになるので、生活リズムの維持だけは死守すべきだなと感じています。